荒川区南千住 学校給食(週3日以上・1日5時間OK)キッチン のバイト・アルバイト求人情報 (W013674638)(日勤)

荒川区南千住 学校給食

時給1163円★週3日~◎未経験歓迎!調理補助【パート】のお仕事

荒川区南千住 学校給食のアルバイト写真

職種

飲食・フード(キッチン)

シフト

週3日以上・5時間/日から 相談OK
週3日以上・5時間/日から 相談OK
  • (1)
    09:00 〜 14:30
    時給1,163

勤務地

荒川区南千住 学校給食

東京都荒川区南千住8-2-3

お仕事内容

【子供たちの声や笑顔が原動力!風遠しの良い職場で思い出に残る給食作りにチャレンジしませんか?未経験の先輩も多数活躍中!】

学校給食の調理補助として一緒に働きませんか?主に食材のカットや調理補助(盛付け・配膳・洗浄業務)などをご担当いただきます。
児童たちからの「おいしい」「ありがとう」など直接声も聞けてとてもやりがいもありますよ。未経験の方も大歓迎です!

求人情報の詳細

給与

①時給1,163円/月払い

給与備考: 
■時給1163円
■交通費規定内支給

雇用形態

アルバイト・パート

シフト備考

◆勤務時間
(1)9:00~14:30 (実働5h)
◆勤務曜日
(1)月・火・水・木・金
◆その他
休憩30分
※週3日~OK・土日祝休み
※勤務時間や週の勤務日数は
面接時にご相談ください

交通費支給

交通費一部支給

研修

研修なし

残業

残業なし

休暇

・土曜、日曜、祝日
・学校休校日(春・夏・冬)
※長期休みあり

待遇

制服あり

応募資格

・年齢不問
・必要資格:なし
・未経験歓迎
※調理師、栄養士お持ちの方尚可
※ブランクOK、仕事復帰大歓迎
※扶養内勤務OK

備考

◎リゾートクラブあり、同好会活動(マラソン・フットサル・テニス他)あり、誕生日お祝い品あり

応募後のプロセス

応募後、担当者より詳細をご連絡いたします

契約期間

詳細の契約期間、契約更新・更新上限の有無については、各自応募先にお問い合わせください。

受動喫煙防止対策

施策詳細について記載がない場合は応募後、各自応募先にお問い合わせください。

求人ID

W013674638

職場の声

社員全員で作った給食を、美味しい!
と食べていただけるのが何よりものやりがい!
社歴に関わらず、みんなで意見を出し合っているので、「こんなやり方はどうだろう?」「次はこんなことをしてみたい!」という気持ちは積極的に採用しています。
そんな努力の積み重ねを、毎年本社で表彰もしています。

「子どもたちの笑顔をつくるために手間ひまを惜しまず、ひと手間をかける」それが私たちの企業姿勢です。
子どもたちの成長に欠かすことのできない給食。私たちと一緒に真心をこめて、てしおにかけた給食を作っていただける方を募集しています。

働きやすい環境が整っています!
「やりがいのある!」「働いていて楽しい♪」というスタッフ声も多数★

スタッフ同士のコミュニケーションは◎
なので、わからないことや不安なことはすぐに聞いていただける環境です!
和気あいあいとした雰囲気で楽しく働けますよ♪

たくさんのご応募お待ちしております!

特徴

  • 主婦(夫)歓迎
  • 中高年歓迎
  • 50代活躍中
  • フリーター歓迎
  • 未経験歓迎
  • 経験者歓迎
  • シフト相談OK
  • 早朝・朝のみOK
  • 昼間のみOK
  • 交通費支給

企業情報

葉隠勇進株式会社

給食提供事業、学童・児童館・保育園運営、自動車運行管理
東京都港区芝4-13-3 PMO田町東10F

葉隠勇進株式会社のアルバイト一覧

公開日 2024年10月01日 更新日 2024年10月01日

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荒川区南千住 学校給食の飲食・フード(キッチン)のお仕事に関するお役立ち情報

東京都荒川区周辺の特徴・おすすめスポット

東京都荒川区は、東京23区の東北部に位置しています。同区は東西に長い形をしており、東北部には隅田川が迂回して流れているのが特徴です。大部分は平坦な地形をしているのに対し、南西部には諏訪台や道灌(どうかん)山と呼ばれる山手台地の一部があります。総面積は10.16平方kmで、東京23区の中では22番目にあたります。人口は、2018年1月30日現在で214,644人です。同区には古くからの歴史があり、人類が初めて居住の地としたのは約2~3年前の旧石器時代だと言われています。隅田川(旧荒川)の貴重な水資源が人々の生活に大きく影響を与えました。1594年、江戸入りしていた徳川家康が千住大橋を架け、足立区側の千住宿は千住大橋を越えて次第に拡大していきます。やがて荒川区側の小塚原町・中村町は千住下宿と呼ばれるようになり、江戸の北側玄関口としてにぎわいを見せました。同場所は、松尾芭蕉の「奥の細道」での旅立ちの地としても有名です。明治以降、同区が東京府に編入されると、農地に工場が次々に建てられ、近代化が進みました。1923年に起きた関東大震災の影響で、都心へと人口が流れ、土地の宅地化や商業化が進みました。1932年、東京都35制により、同区は誕生しています。