岡田病院(日清医療食品株式会社 東京支店)飲食・フード のバイト・アルバイト求人情報 (X005953943)

社会貢献できることが魅力の日清医療食品の栄養事務員(パート・アルバイト)求人

岡田病院(日清医療食品株式会社 東京支店)のアルバイト写真
岡田病院(日清医療食品株式会社 東京支店)のアルバイト写真

職種

飲食・フード(給食調理)
病院・医療施設の栄養事務員

シフト

10:00-17:00(休憩60分)
10:00-17:00(休憩60分)

時給:1400円~1600円
※経験・スキルによる
研修中の給与変動:なし

時給1,400円~1,600円

勤務地

東京都荒川区荒川5丁目3-1
新三河島駅 徒歩 1分
三河島駅 徒歩 6分
町屋(東京メトロ)駅 徒歩 7分
町屋二丁目駅 徒歩 8分
町屋(京成線)駅 徒歩 9分

お仕事内容

栄養事務員として、食札の管理や食材の発注、納品食材の検品、帳票類の作成、データ入力などの業務をお願いします。事務の経験や専門知識の有無は問いません!最初は先輩が丁寧にサポートするのでご安心ください。事務を通して、多くの方の健康管理や福祉社会への貢献ができることがやりがいのお仕事です。

求人情報の詳細

雇用形態

アルバイト・パート

給食の配膳に合わせた仕事

朝、昼、夕で決まっている給食の配膳時間に合わせての仕事スケ
ジュールとなるため、規則正しく計画的に働けることが魅力です
。ワークライフバランスを重視しながら働きたい方、日清医療食
品で働いてみませんか?食を通して多くの方の健康維持に役立て
ることがやりがいのお仕事です。お気軽にご応募ください。

安心の業界最大手企業!

私たち日清医療食品は、「食を通じて日本の医療福祉サービスの
質の向上に貢献」することを経営理念として、ヘルスケアフード
サービスを提供しています。受託市場シェアNo.1の実績があり、
業界大手ならではの安定と安心が魅力です。ヘルスケアフードと
いう食文化に興味がある方、私たちと一緒に働いてみませんか?

普段の食生活に役立つ知識

働きながら調理法や栄養学など食に関するさまざまな知識が身に
つけられるのは、ヘルスケアフードサービスに関わるお仕事なら
ではの特徴です。家庭での料理に活かせる内容も多いので、仕事
のみならず、普段の食生活でも健康を意識した食事づくりにチャ
レンジしてみたいという方にもオススメのお仕事です。

趣味のスキルアップに活用

日清医療食品では、福利厚生の一環としてe-ラーニングを自由に
受講できる制度をご用意しています。プログラミングやフラワー
コーディネートなど、多種多様なe-ラーニングを受講し放題のた
め、趣味のスキルアップに活用できるのが魅力です。仕事と趣味
を両立してプライベートを充実したいという方にオススメです。

事業内容

内厨房の運営

応募資格

■栄養士免許

栄養事務の経験がなくても大丈夫♪
先輩が優しく教えます。

年齢・学歴・経験不問です。
未経験でも資格を活かして働きたい方
経験を活かしてキャリアアップをしたい方
ブランクのある方
安定企業で働きたい方
・・など、ご応募お待ちしております。

休暇

シフトによる

契約期間

詳細の契約期間、契約更新・更新上限の有無については、各自応募先にお問い合わせください。

受動喫煙防止対策

施策詳細について記載がない場合は応募後、各自応募先にお問い合わせください。

求人ID

X005953943

特徴

  • 主婦(夫)歓迎
  • フリーター歓迎
  • 未経験歓迎
  • 昇給あり
  • 髪型・髪色自由

公開日 2024年12月10日 更新日 2025年01月13日

あなたにピッタリなお仕事を探してみましょう!

岡田病院(日清医療食品株式会社 東京支店)の飲食・フード(給食調理)のお仕事に関するお役立ち情報

東京都荒川区周辺の特徴・おすすめスポット

東京都荒川区は、東京23区の東北部に位置しています。同区は東西に長い形をしており、東北部には隅田川が迂回して流れているのが特徴です。大部分は平坦な地形をしているのに対し、南西部には諏訪台や道灌(どうかん)山と呼ばれる山手台地の一部があります。総面積は10.16平方kmで、東京23区の中では22番目にあたります。人口は、2018年1月30日現在で214,644人です。同区には古くからの歴史があり、人類が初めて居住の地としたのは約2~3年前の旧石器時代だと言われています。隅田川(旧荒川)の貴重な水資源が人々の生活に大きく影響を与えました。1594年、江戸入りしていた徳川家康が千住大橋を架け、足立区側の千住宿は千住大橋を越えて次第に拡大していきます。やがて荒川区側の小塚原町・中村町は千住下宿と呼ばれるようになり、江戸の北側玄関口としてにぎわいを見せました。同場所は、松尾芭蕉の「奥の細道」での旅立ちの地としても有名です。明治以降、同区が東京府に編入されると、農地に工場が次々に建てられ、近代化が進みました。1923年に起きた関東大震災の影響で、都心へと人口が流れ、土地の宅地化や商業化が進みました。1932年、東京都35制により、同区は誕生しています。