東山会介護老人保健施設亀龍園(日清医療食品株式会社 神戸支店)飲食・フード のバイト・アルバイト求人情報 (X005939561)

健康管理に従事しながら調理経験が積める、日清医療食品の調理補助(パート・アルバイト)求人

東山会介護老人保健施設亀龍園(日清医療食品株式会社 神戸支店)のアルバイト写真
東山会介護老人保健施設亀龍園(日清医療食品株式会社 神戸支店)のアルバイト写真

職種

飲食・フード(給食調理)
お食事の盛付けメインの施設内調理スタッフ

シフト

6:30-12:00
12:00-17:30
14:30-20:00
※週3日~、シフト制
6:30-12:00
12:00-17:30
14:30-20:00
※週3日~、シフト制

時給:982円~1200円
※経験・スキルによる
研修中の給与変動:なし

時給982円~1,200円

勤務地

岡山県倉敷市亀山679-1
久々原駅 徒歩 30分
茶屋町駅 徒歩 31分
早島駅 徒歩 40分
倉敷駅 徒歩 45分
倉敷市駅 徒歩 46分

お仕事内容

厨房にて、盛り付けや配膳・下膳、食器・器具の洗浄、下処理、
清掃、調理の補助(仕込みや煮る・焼く・揚げる等の作業)をお
願いします。まずは簡単なことから少しずつお任せしていくので
ご安心ください。チームでの作業のため、分からないことがあっ
てもすぐに聞ける環境です。まずはお気軽にご応募ください。

求人情報の詳細

雇用形態

アルバイト・パート

ブランクがあっても安心

日清医療食品では、育児・介護・看護休暇から復帰した方も多く
在籍しているため、ブランクがある方に対するサポート体制も万
全です。家庭の事情でお仕事から離れていた方や、異業種に転職
したものの、もう一度チャレンジしてみたい方など、大歓迎です
。職場の仲間がしっかりフォローするのでご安心ください。

給食の配膳に合わせた仕事

朝、昼、夕で決まっている給食の配膳時間に合わせての仕事スケ
ジュールとなるため、規則正しく計画的に働けることが魅力です
。ワークライフバランスを重視しながら働きたい方、日清医療食
品で働いてみませんか?食を通して多くの方の健康維持に役立て
ることがやりがいのお仕事です。お気軽にご応募ください。

厨房内でのチーム作業

調理師、調理員、調理補助のお仕事は厨房内での作業となるため
、接客が苦手という方でも問題ありません。コツコツと作業する
ことが好きという方にオススメです。仲間との作業だからこそ、
分からないことがあっても聞きやすい環境のため、安心感を持っ
て始められることも魅力の1つです。お気軽にご応募ください。

提携保養施設を利用可能

日清医療食品では、福利厚生の一環として、提携保養施設をお得
に楽しむことができるのが魅力です。全国25カ所の保養施設と提
携しており、普段よりもお得な価格で利用することができます。
家族サービスや自分へのご褒美など、定期的なリフレッシュにぜ
ひご活用ください。まずはご応募をお待ちしております。

事業内容

内厨房の運営

応募資格

■必要資格なし

調理の経験がなくても大丈夫♪
先輩が優しく教えます。

年齢・学歴・経験不問です。
未経験でも資格を活かして働きたい方
経験を活かしてキャリアアップをしたい方
ブランクのある方
安定企業で働きたい方
・・など、ご応募お待ちしております。

休暇

シフトによる

契約期間

詳細の契約期間、契約更新・更新上限の有無については、各自応募先にお問い合わせください。

受動喫煙防止対策

施策詳細について記載がない場合は応募後、各自応募先にお問い合わせください。

求人ID

X005939561

特徴

  • 主婦(夫)歓迎
  • 50代活躍中
  • フリーター歓迎
  • 未経験歓迎
  • 昇給あり
  • 服装自由
  • 髪型・髪色自由

公開日 2024年11月07日 更新日 2024年11月14日

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東山会介護老人保健施設亀龍園(日清医療食品株式会社 神戸支店)の飲食・フード(給食調理)のお仕事に関するお役立ち情報

岡山県倉敷市周辺の特徴・おすすめスポット

倉敷市は岡山県の南中央部となる、岡山市や総社市などに隣接した場所にあります。面積は355.63平方キロメートル、総人口は2017年12月31日時点で483,901人にのぼり、県内では岡山市に次いで人口の多い市です。本州と四国を結ぶ、瀬戸大橋が架かる地としても知られる同市は、白壁の町が並ぶ倉敷美観地区としても有名です。同市周辺に人類が住み始めた歴史は非常に古く、約二万年前の旧石器時代だと言われています。弥生から古墳時代は、瀬戸内海に面した児島での製塩や、平野部での稲作で栄えていました。1582年以降、備中南部では新田開発が行なわれ、後に綿や菜種などの栽培が盛んになりました。明治に入ってからは、玉島紡績所、下村紡績所、倉敷紡績所が次々に開業し、地域に繊維産業が浸透していく基盤となっています。1941年、三菱重工が航空機製作所を建てたあたりから、高梁川廃川地エリアは水島と呼ばれるようになりました。戦後に水島臨海工業地帯として重化学工業が発展し、多くの企業が進出を遂げています。1967年、倉敷・児島・玉島の3市が合併し、現在の倉敷市が誕生しました。その後も新たに4つの村の編入を経て、岡山都市圏を形成、発展を続けています。