新潟通運株式会社運送・ドライバー・引っ越し のバイト・アルバイト求人情報 (X005930629)

正社員勤務!入社後の免許取得費用補助or全額負担あり!/下越エリアで働くJR貨物コンテナ運転手

新潟通運株式会社のアルバイト写真

職種

運送・ドライバー・引っ越し(その他ドライバー・配送系)
JR貨物コンテナ運転手(下越)

シフト

8:00~17:00
・実働7時間45分
・休憩時間75分
・月平均10~30時間程度の残業有
(別途手当支給)
8:00~17:00
・実働7時間45分
・休憩時間75分
・月平均10~30時間程度の残業有
(別途手当支給)

月給:180000円~230000円
※経験・スキルによる
研修中の給与変動:あり(月給180000円~230000円、期間:3ヶ月 ※習熟度により変動あり)

月給18万円~23万円

研修中 月給18万円~23万円(研修期間3ヶ月 習熟度により変動)

毎月15日締め/29日払い

勤務地

新潟県新潟市東区下場25番地14 
東新潟駅 徒歩 10分
越後石山駅 徒歩 15分
大形駅 徒歩 35分
新潟駅 徒歩 41分
亀田駅 徒歩 42分

お仕事内容

積載量5tのJRコンテナで運ばれる荷物を配達又は集荷する業務で
す。10t車の運転に慣れない方は5tコンテナ車もあります。
積み下ろしはフォークリフト・手作業になります。(割合は5:
5)手作業は仲間と協業になります。慣れるまでベテラン社員と
一緒に仕事しますのでご安心ください。

求人情報の詳細

雇用形態

正社員

会社負担で取れる資格あり

業務上で必要となる免許・資格については、かかる費用の補助制
度を設けています。フォークリフト・けん引・大型特殊・衛生管
理者・危険物取扱者に至っては、会社が取得費用・受講費用を全
額負担。現時点で特殊な資格を持っていなくても大丈夫です。コ
ンテナ運転手にご興味あるあなた、ぜひご応募ください。

環境に優しい輸送

新潟通運の主軸業務は、JR貨物と全国の通運業者と連携した全国
ネットの「鉄道コンテナ輸送」。トラック輸送の一部をCO2の排
出量が少ない鉄道輸送などに置き換える「モーダルシフト」は、
環境問題に取り組む企業から大いに注目されています。大量輸送
を叶えつつも地球に優しいドライバーの一員になりませんか?

新潟通運について

私たち新潟通運は、全国規模で営業所を展開する新潟運輸グルー
プの一員です。1949(昭和24)年、新潟運輸(当時の名称は「新
潟運輸建設」)の通運事業部門としてスタート。以来、業界の老
舗として安定した経営を続けています。大手物流企業のグループ
会社は、手厚い待遇も魅力的。男女ともに長く活躍できます。

新潟運輸グループの強み

新潟運輸グループは、新潟県内にとどまらず、日本全国に約90ヵ
所ある拠点を活かした物流ネットワークを強みとしています。お
客さまから託された商品を「安全に、そして正確に届ける」ほか
、物流が「人と人をつなぐネットワーク」であるという思いを胸
に、まごころを込めたサービス提供を大切にしています。

事業内容

貨物自動車運送事業、貨物利用運送事業など

応募資格

・大型自動車免許
・フォークリフト(入社後取得可能会社負
担)

休暇

シフトによる

契約期間

詳細の契約期間、契約更新・更新上限の有無については、各自応募先にお問い合わせください。

受動喫煙防止対策

施策詳細について記載がない場合は応募後、各自応募先にお問い合わせください。

求人ID

X005930629

特徴

  • 50代活躍中
  • 未経験歓迎
  • 学歴不問

公開日 2024年11月01日 更新日 2024年12月04日

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新潟通運株式会社の運送・ドライバー・引っ越し(その他ドライバー・配送系)のお仕事に関するお役立ち情報

新潟県新潟市東区周辺の特徴・おすすめスポット

新潟県は、日本海に浮かぶ佐渡島を含む12,580平方キロメートルの北陸4県最大の都市です。新潟市東区は信濃川の東側に位置しており、東に北区、南に江南区、西に中央区があり北は日本海に面しています。年間約100万人の乗降客が利用する国際空港の「新潟空港」、日本海側の玄関口である「新潟港」があり物流の拠点になっている街です。「新潟港東港区」は1969年に東港工業地帯の要として開港されました。外資コンテナ航路の開設以降、コンテナ貨物量が伸び航路数も増えたことにより、現在も日本海側最大の国際物流港湾として機能しています。小売・サービス業や、重工業・軽工業などの商工業が盛んです。区内にはJR信越本線と白新線が通っており3つの駅があります。中地区、紫竹・木戸・大形地区、石山地区に分かれており、1929年の都市計画によって街は工業地帯として発展してきました。紫竹・木戸・大形地区にある県道は地元では「赤道(あかみち)」と呼ばれており、化学工場から出た酸化第二鉄を含んだ赤茶色の土が敷かれていたことが由来となっています。農村地帯であった石山地区は、住宅需要が増えたことにより住宅団地が広がる街になりました。現在では大規模工場の数が減り、かつて工場があった場所は住宅地へと姿を変えています。