はせがわ病院(日清医療食品株式会社 東京支店)飲食・フード のバイト・アルバイト求人情報 (X005941479)

スタッフの約8割が未経験スタート。日清医療食品の洗い場スタッフ(パート・アルバイト)求人

はせがわ病院(日清医療食品株式会社 東京支店)のアルバイト写真
はせがわ病院(日清医療食品株式会社 東京支店)のアルバイト写真

職種

飲食・フード(給食調理)
食器や器具の洗浄を行う洗い場スタッフ

シフト

15:00-20:00(休憩なし)
週3日~OK、シフト応相談
お気軽にお問い合わせください♪
15:00-20:00(休憩なし)
週3日~OK、シフト応相談
お気軽にお問い合わせください♪

時給:1200円~1300円
※経験・スキルによる
研修中の給与変動:なし

時給1,200円~1,300円

勤務地

東京都荒川区東日暮里6丁目22-16
三河島駅 徒歩 2分
日暮里(舎人ライナー)駅 徒歩 7分
日暮里駅 徒歩 8分
新三河島駅 徒歩 8分
西日暮里(舎人ライナー)駅 徒歩 10分

お仕事内容

洗い場専属スタッフとして、下膳や食器・器具の洗浄、洗い場エ
リアの清掃などをお願いします。調理スタッフのサポートをメイ
ンとするお仕事です。多くの方の健康管理を支えるお仕事でもあ
るので、福祉社会への貢献実感を得られることが魅力です。
専門知識や経験は不問!お気軽にご応募ください。

求人情報の詳細

雇用形態

アルバイト・パート

ブランクがあっても安心

日清医療食品では、育児・介護・看護休暇から復帰した方も多く
在籍しているため、ブランクがある方に対するサポート体制も万
全です。家庭の事情でお仕事から離れていた方や、異業種に転職
したものの、もう一度チャレンジしてみたい方など、大歓迎です
。職場の仲間がしっかりフォローするのでご安心ください。

給食の配膳に合わせた仕事

朝、昼、夕で決まっている給食の配膳時間に合わせての仕事スケ
ジュールとなるため、規則正しく計画的に働けることが魅力です
。ワークライフバランスを重視しながら働きたい方、日清医療食
品で働いてみませんか?食を通して多くの方の健康維持に役立て
ることがやりがいのお仕事です。お気軽にご応募ください。

提携保養施設を利用可能

日清医療食品では、福利厚生の一環として、提携保養施設をお得
に楽しむことができるのが魅力です。全国25カ所の保養施設と提
携しており、普段よりもお得な価格で利用することができます。
家族サービスや自分へのご褒美など、定期的なリフレッシュにぜ
ひご活用ください。まずはご応募をお待ちしております。

安心の業界最大手企業

私たち日清医療食品は、「食を通じて日本の医療福祉サービスの
質の向上に貢献」することを経営理念として、ヘルスケアフード
サービスを提供しています。受託市場シェアNo.1の実績があり、
業界大手ならではの安定と安心が魅力です。ヘルスケアフードと
いう食文化に興味がある方、私たちと一緒に働いてみませんか?

事業内容

内厨房の運営

応募資格

■必要資格なし

洗浄の経験がなくても大丈夫♪
先輩が優しく教えます。

年齢・学歴・経験不問です。
未経験でも資格を活かして働きたい方
経験を活かしてキャリアアップをしたい方
ブランクのある方
安定企業で働きたい方
・・など、ご応募お待ちしております。

休暇

シフトによる

契約期間

詳細の契約期間、契約更新・更新上限の有無については、各自応募先にお問い合わせください。

受動喫煙防止対策

施策詳細について記載がない場合は応募後、各自応募先にお問い合わせください。

求人ID

X005941479

特徴

  • 主婦(夫)歓迎
  • フリーター歓迎
  • 未経験歓迎
  • 昇給あり
  • 社員登用
  • 大量募集

公開日 2024年11月07日 更新日 2024年11月21日

あなたにピッタリなお仕事を探してみましょう!

はせがわ病院(日清医療食品株式会社 東京支店)の飲食・フード(給食調理)のお仕事に関するお役立ち情報

東京都荒川区周辺の特徴・おすすめスポット

東京都荒川区は、東京23区の東北部に位置しています。同区は東西に長い形をしており、東北部には隅田川が迂回して流れているのが特徴です。大部分は平坦な地形をしているのに対し、南西部には諏訪台や道灌(どうかん)山と呼ばれる山手台地の一部があります。総面積は10.16平方kmで、東京23区の中では22番目にあたります。人口は、2018年1月30日現在で214,644人です。同区には古くからの歴史があり、人類が初めて居住の地としたのは約2~3年前の旧石器時代だと言われています。隅田川(旧荒川)の貴重な水資源が人々の生活に大きく影響を与えました。1594年、江戸入りしていた徳川家康が千住大橋を架け、足立区側の千住宿は千住大橋を越えて次第に拡大していきます。やがて荒川区側の小塚原町・中村町は千住下宿と呼ばれるようになり、江戸の北側玄関口としてにぎわいを見せました。同場所は、松尾芭蕉の「奥の細道」での旅立ちの地としても有名です。明治以降、同区が東京府に編入されると、農地に工場が次々に建てられ、近代化が進みました。1923年に起きた関東大震災の影響で、都心へと人口が流れ、土地の宅地化や商業化が進みました。1932年、東京都35制により、同区は誕生しています。