株式会社LEOC ボンセジュール南千束飲食・フード のバイト・アルバイト求人情報 (X005862181)

大田区のケアファシリティ内キッチンで調理補助募集!

株式会社LEOC ボンセジュール南千束のアルバイト写真
株式会社LEOC ボンセジュール南千束のアルバイト写真

職種

飲食・フード(給食調理)
ケアファシリティ内キッチンの調理補助

シフト

【勤務シフト】
週3日~勤務・シフト制
・6:00~10:00
・6:00~12:30
・15:00~20:00
【勤務シフト】
週3日~勤務・シフト制
・6:00~10:00
・6:00~12:30
・15:00~20:00

時給:1200円~1250円
※経験・スキルによる
研修中の給与変動:あり(時給1200円~1250円、期間:3ヶ月 ※習熟度により変動あり)

時給1,200円~1,250円

研修中 時給1,200円~1,250円(研修期間3ヶ月 習熟度により変動)

+交通費全額支給

勤務地

東京都大田区南千束1-1-8
長原(東京都)駅 徒歩 3分
北千束駅 徒歩 5分
旗の台駅 徒歩 5分
洗足駅 徒歩 8分
洗足池駅 徒歩 9分

お仕事内容

クライアントとなる有料老人ホームや福祉施設の
施設内厨房において、朝昼晩の決まった時間に合わせて
ご利用者様へお食事提供を行うお仕事です。
調理補助の方には食器の準備・お食事の盛付・配膳
・食器洗浄などのお仕事をお任せします。

求人情報の詳細

雇用形態

アルバイト・パート

お食事の盛付と食形態加工

盛付の過程で、ご利用者様一人ひとりの口腔状態に
適した食形態加工を行うことが介護給食の特徴です。
毎食作られる食数表を見ながらお食事を一口サイズにしたり、
刻んだりミキサーにかけたりと、食べやすい形に加工し、
最終的に必要分お皿に盛りつけていきます。

お食事の配膳

出来上がったお料理は、ご利用者様一人ひとりに合わせた
お食事を提供するための指示内容の札(食札)を
確認しながら盛付します。ご利用者様へ配膳される前に
食札の内容と相違が無いか、最終的には複数人体制で
チェックします。

食器洗浄

お食事後に下膳された食器は食器洗浄機で洗浄します。
大量の食器を効率的に洗浄するため、
食器は並べ方と洗う順番を考えながら洗浄機にかけていき、
同じ食器をまとめて乾燥機に入れて、食器棚へ戻します。
食器の洗浄の後に、洗浄機自体も定期的に洗浄します。

チームワークが大切!

調理補助のお仕事は基本的にコツコツ黙々と行う作業が
多いですが、厨房内の他のスタッフや他の職種の方々と
連携しながら進める仕事が大半なのでチームワークが大切。
時間に追われる中でもポジティブなコミュニケーションを
取りながら仕事に取り組めるよう、周囲もサポートします!

事業内容

病院・福祉施設・社員食堂・工場・寮の食事運営

応募資格

【資格/経験】
・資格/経験不問
※未経験者歓迎!

【求める人物像】
・料理が好きな方
・チームワークがある方

休暇

シフトによる

契約期間

詳細の契約期間、契約更新・更新上限の有無については、各自応募先にお問い合わせください。

受動喫煙防止対策

施策詳細について記載がない場合は応募後、各自応募先にお問い合わせください。

求人ID

X005862181

特徴

  • 未経験歓迎

公開日 2024年06月25日 更新日 2024年11月22日

あなたにピッタリなお仕事を探してみましょう!

株式会社LEOC ボンセジュール南千束の飲食・フード(給食調理)のお仕事に関するお役立ち情報

東京都大田区周辺の特徴・おすすめスポット

大田区は、東京都の東南部に位置する区です。東京23区内では最南部に位置する地域で、多摩川を挟んだ神奈川県川崎市と隣接しています。東京23区のなかでは最も面積の大きい区であり、人口は2017年12月時点でおよそ72万人です。東側は東京湾に面しており、武蔵野台地の先端に位置していること、東海道の街道筋にあたっていたことから昔より交通の要衝として栄えてきました。区内には大森貝塚、多摩川台古墳群などの史跡が遺されており、古代よりこの地に人が居住していたことがわかります。区の西北部の丘陵地帯は関東大震災後に宅地化が進められ、緑の豊かな住宅地となりました。関東大震災後に多くの文士や芸術家が移り住んだ馬込周辺は、馬込文士村と呼ばれ、当時の面影を今に伝える街並みが残されています。東南部の低地には町工場が密集し、商業・工業地帯として発展してきました。東京湾沿いでは1950年代までは海苔の養殖が盛んに行われ、後に埋立地として開発が進められ、現在の臨海部には羽田空港をはじめトラックターミナルや物流センター、工場団地、野鳥公園などの都市機能増進施設が整備されています。2010年に羽田空港の国際化が実現したことをきっかけに、外国人観光客や居住者が増加しました。